開催まとめページ、24日に追加しております。
おしゃべりサロンに興味がありましたら、そちらをご覧ください。
.Tです。
本日も、母との間での発見を書いていきたいと思います。
*----------------------------------------------*
>ベースに、「娘に怒られるのが怖い」という部分がありますので、
「怒られるかもしれない」「イライラする娘」というシーンを共同で作るために、私はリクエスト通りの反応をします。
ここで私がミロスを知らなかった場合、私は「怒りっぽい自分」という自己認識を持ち、自分自身を見失うのです。
必死に怒らないように抑え、ダメな自分という意識を強化してしまうのです。
--引用終わり
--引用終わり
「共同創造者」というテーマで、こちらを引っ張ってきました。
以前に「不登校児と親の関係に隠れた、意識の問題」として、記事を書いてます。
一度でも目を通された方は、こちらの「共同創造」も不登校の関係に深くかかわっている、という事にお気づきになられたでしょうか?
「この子は私が居ないとダメだ」なんて意識を再現しているのだ、と言われれば、簡単かもしれません。
それではあまりにもシンプルなので、もっと突っ込んだ記事を書いていきます。
娘に怒られそうだ。 イライラする娘~を、親と子の共同創造としましょう。
しばらくすると、親の方に現象として見えてくるのは
「私にはすぐ怒る」のに「友人には気が長い(怒らない)」という現象です。(もちろん、我が家の事です。笑)
我が家では、「私(←母)の話にはすぐ噛み付く」のに「父の話は素直に聞く」という現象がありました。
ここで陥りがちなパターンがありまして、
「お友達にはできるんだから、家でもお母さん(や兄弟姉妹)に優しくしてね」
「どうして家ではわがままになるの!」
という内容を、子どもに口走ってしまうことです。
前に戻り、共同創造者という視点で見ますと、これは当然のことです。
怒りっぽい娘というのは、「家族の中での共同創造ルール」ですから、
別の共同創造の舞台である、学校や塾(習い事の教室)とは、全く反応が違ってきても、当然という事ですね。 もちろん、両方が一致するパターンもありますが。
しかし我が家の場合、「怒りっぽい、イライラする」というのは、父には発動しませんでした。 同じように、学校でもひたすら我慢をする子どもでした。
友人関係であっても、おかしいと指摘することはあれ、ブチ切れて反論というのは、覚えがありません。(数回した記憶はありますが)
なので、「短気は母との関係性」なのだと分かります。
私がクラスメイトに「それはおかしい」という指摘をしたとしても、「だって〇〇だもん」なんて言われれば、その事はもう2度と言いません、笑
ですので、言える人には良く話し、気の強い子には好き勝手言われるという感じですね。
私の経験のみで言いますと、
「気の強い子に好き勝手言われたりする」ので、そういう子が苦手だったり、嫌いだったりするのですが、
母との共同創造では、「イライラする、すぐに噛み付く娘」になっているわけですから、自分は母に対し好き勝手言っているので、「なんであいつみたいに……」「自分がダメな事してるじゃん、嫌な奴と同じ」
という評価を、自身にくっつけていきます。
そこでさらに、先ほどの2行
「お友達にはできるんだから、家でもお母さん(や兄弟姉妹)に優しくしてね」
「どうして家ではわがままになるの!」
が加わりますと、
その子の世界や関係性によりますが
「学校でクラスメイトと会う」ことか、「家にいる」こと(親の言うことを聞くこと)が嫌になっていきます。
「わがままな自分を見せないように、殻に閉じこもる」か「私は悪くない」とさらにわがままになったりもします。
ここまでこじれていくと、「登校拒否」や「家出」が発生してくるのですね!
「この子は私が居ないとダメだ」の意識も、この流れのどこかで生まれてしまうことがあります。 「手のかかる子だから」。
ますます子どもは、それを共同で創造していくのです。。。
自分では何もしようとしなくなり、引きこもりきり。 になっていったりするのです。
この先の内容は、皆さまご自身でお考えいただくことが、大事かと思われます。
私たち主催の「おしゃべりサロン」を通じて、そういった関係性が発見されることも、あるかと思います。
普通の生活の中で、発見されることや
この記事がそのまま当てはまるなど、あるかと思いますが。
どのパターンで発見されるにせよ
私の世界から見えたものが、「自分に戻る旅」を歩む仲間たちの助けになりますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿