うちのおばーちゃんの話になりますが、認知症があって……となっている祖母の方は、最初「物を盗られる」と騒いでいました。
かたや、多少の物忘れはあっても、ハッキリしている父方の祖母の方は、「いつの間にか物がなくなっている(未開封のものも)」とよく訴えます。
二人とも現在は、施設にいるのですが、
「盗られる」と騒いでいる方は、人の往来がないので、まず盗られないです。
「無くなっている」と訴えている方は、自由に出入りしているので、確かに盗られてしまう可能性はあります。
実際沢山置いてあったはずのものが、すぐに見当たらなくなるようです。
それどころか、知らない男性(入居者)が一人、祖母の使用しているベッドで寝ているそうです、笑
さて、ここで単純に「その男性が犯人では?」と疑うのは簡単です。
でも本当のところは、面白いことが絡んでいるのですね。
私は幼少のころ、なぜか
「特別にプレゼントしてもらったものだけを、ピンポイントに盗まれる」
という現象を経験しています。
持ち帰っている子はそうと知っているわけじゃないので、余計に不思議なんです。
私が「友人からもらったもの」「母からの誕生日プレゼント」や「お小遣い」(笑)などが盗られる物の殆どで「私が購入したもの」や「元々あったもの」は全く被害にあわない。
父方の祖母は施設に入ってますから、殆どのものを家族から「貰っている」わけですので、「貰った大事なものを取られる」ということが共通点です。
「祖母のものが盗られている」のは「今」なので、
私の中にもまだ、昔のまま思い込みが残っているという事になりますね。
余談ですが、ミロスの書籍の中に
「いじめられっ子が自殺するのは、いじめっ子に対する究極のいじめである」
「つまり、二人は元々同じ思考エネルギーを持っている」
という内容がありますが、当時の私はこれを示すかのように……
「この子はいつも私のものを盗む」
という思いから
「その子の家に転がっていた10円を、こっそり貰ってくる」
なんてささやかな仕返しをしたことがあります。
そういうことなんですよね。
私が盗られていたものは5千~1万前後のもので、
それに対して10円なら……なんて私が思っていた当時。
盗んでいる子も「これくらいのものなら……許される」なんて思っているのかもしれないですね。
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まず私が思いついたことは、
「これは自分のもの」「これは誰かのもの」という部分が、かなり強化されているのでは? という部分です。
私の中で「これは自分のもの」というこだわりが強ければ強いほど、鏡も「これを私のものにしたい」と思うのだと想像できます。
ということは私は「この子(相手)のものが欲しい」と思っているわけです。
心当たりないですか? 私はあります。
友達の家に行ったら、欲しかったおもちゃが堂々と置いてある……。
(欲しいな、買ってもらえないよなぁ)という気持ちを押し殺し、家に帰るわけです。
ここで、自分は人のものを欲しがってるのか! と思うのは簡単ですね。
よく聞くのは、友人の恋人ばかり狙う人とか。笑
ここでも、それを聞くという事は、私が他者のものを奪いたいと無意識では思っているという証明ですね。
はい。
欲しがっている、と認識するのは、意外と簡単です。
ここから先が問題です。
他の人のものを欲しがっている、と聞くと、何が浮かぶか?
私の場合……
「クソ野郎」
ですかね。笑
さらに掘り下げて
「まてまて、クソ野郎って何?」と追及すると、「賊」と浮かびます。
しかし私は、ゲームや映画の海賊キャラが好きです。 はい、ループハマりました!
「海賊は好きだ、でも盗みは悪い」テヘペロ☆ミ
つまりクソ野郎の対、もう半分の意見は「怪盗キッドかっこいい!」じゃなくて……。
「大泥棒はなんかかっこいいよね」ということですね。
泥棒に憧れているなら、盗まれたら万々歳じゃないですか!! やだー(*ノωノ)
と、いう話でして。
泥棒がかっこいいと思っているのに、泥棒に遭ったら怒るんですね!
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これをもとに改めて、子どもの頃の思考を整理しましょう。
私はあの子の持っているおもちゃが欲しい。 でも、盗みは悪いことだ。
TVで見るような大泥棒は、盗んだ痕跡を残さないらしいじゃないか。
ああ、私もそれくらい出来たら、いくらでも欲しいもの手に入れ放題じゃない!
素敵! 大泥棒素敵! でもバレてつかまっちゃうようなコソ泥かっこ悪い!
私コソ泥になりたくないわ! だから盗まない! でももし自分が大泥棒だったら盗んじゃうかも~☆
……なんてところでしょうか?(/ω\)
今日もまた、自分の隠された一面を見られました( 一一)
ここで名言。「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」笑
私の世界から見えたものが、「自分に戻る旅」を歩む仲間たちの助けになりますように。
こんにちは。ブログ、スタート、おめでとうございます。
返信削除「盗られる」に私も最近、気づいたことがあったので、シェアしますね。
幼稚園の友達?(今から考えたら、自分は友達だと思っているかは不明ですけどね)のうちで遊んでいたのは覚えています。
で、うちの母親が持っていなかった、ファンデーションを持ち歩けるコンパクトをおもちゃにしていたのを覚えています。
当時、「ひみつのアッコちゃん」をテレビで見ていたのです。
その日に、私はそのおもちゃにしていたコンパクトを盗ったんだそうです。
確かに、ポケットに入れたことは覚えている気がします。
で、親にこっぴどく、叱られました。
でもですね。
今の自分から考えると、
今の自分なら、これはこの人のもの。と認識できますが、
幼稚園児がそんな認識あったのかな?と思うわけです。
名前が書いてあっても読めないし。
これはこの人のものだから、盗むのは悪いと、めっちゃ怒られても、
これがこの人のものとか、私のものとか、わかるわけがないんですね。
私が子育て中に、子ども同士のおもちゃを貸しっこして遊ばせていましたが、
子どもとしては、「これはあなたのもの。これはこの子のもの。」って、大人が言うからそうなのか。くらいの認識しかなかったよな。と思ったりします。
それだけ、ものについても、線引きがないのが本当ですよね(>_<。)
コメントありがとうございます^^
削除私は幼稚園のころと言うと、年長になる前後で既に読み書き(1年生の漢字くらいまで)ができていたので、「これは自分のものではない」という認識の始まりも早かったのかもしれません。
それでも目の前の現実では、兄(姉)のものは私も使う! 羨ましい! というのはよく聞きました。 その逆もしかり。
兄弟というのは小さなころ、相手のものなんて考えずに使っていますよね……確かに。
それは私のものなの!! と訴えるときは「今使いたいもの」という発想が強く、本当に自分の所有物とは認識していないのかもしれないですね。
幼稚園でよく言われた「それオレの!」というのも、そんなニュアンスだったと思います。
そうそう。
削除「今、私が使うの!」って意識ですね。
そっかぁ。それだけですね。
子どもには、線引きはないですね。
今、どうしたいのか?が子どもの時は、出来ていたんですね(・∀・)
Tさんの洞察力は、いつも、素晴らしいですね💜