2018年3月22日木曜日

不登校児と親の関係に隠れた、意識の問題

こんばんは、.T です。
今回の記事は、タイトルの通りです!

子どもの不登校と聞くと、一般的には
学校、先生、友達との関係を多く見ていくのだと思いますが

今回は別の切り口から「一つの例」を紹介していきたいと思います。

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子どもが不登校になってしまうと、親としては色々と感じることがあると思います。
そこで、「親自身の無意識では、どのようなことが起こっているのか?」
という視点で、あるパターンをこれから書いていくのですが。

心理的な部分で何が起こっているのか。
親と子の関係には、何が起こっているのか。
一つ一つのケースは、その家庭事情により違います。

しかしある種の、共通したパターンはあります。


まず、なんらかの原因で、お子さんが不登校になったとしましょう。
この時多くの親御さんは、当然のように心配をします。

その心配の内容は

このままだと、社会に出られないのではないか
友達とうまくいっていなかったのか?
いじめられていたのか?
勉強はどうなってしまうのだろう?
いつになったら、気持ちを話してくれるのだろうか。
このまま30、40になっても、家でゲームばかりするのか?

などなど、様々かと思います。
ここから親御さんの意識がどのように発展するかというと、多くの場合

私が心配しているのに、この子は……
社会を甘く見ているのでは
もっとこの子にあった学校を探さなきゃいけないの? でも、どうすれば?
最低でも、俺が死ぬ前に働いてほしい。
担任と相談したいけど、子どもが嫌がるから……

といった例などありますが、
この時「親御さんの意識が癒されていない」状態にありますと、親御さんたちの無意識領域では、

「私はこんなに頑張っているのに、何でこんな目にあうの」

という叫びが、かなり高確率で生まれています。
それがさらに発展系となりますと、無意識に刻み込まれる感情は、

「息子(娘)が私の事をいじめている」

なんてところまで、行ってしまうことがあるのです。
多くの”大人”は「悪いことはダメだ」と観念がありますので、

「なんでこんな目にだとか、子ども本人にも問題があるのではとか、思ってはいけない。 辛いのは、頑張っているのは本人なんだから、私も頑張らなきゃ」

なんて思考を上乗せして、「私はいじめられている」という自分の感情に、蓋をしてしまいます。
そこから飛び出ない限り、家庭不和の原因はずっと分かりません。

無意識の領域に限らず、子どもは敏感なものですから、
親御さんの「私は子供にいじめられている」という気持ちを察知した子供は
「どうせ親だって、自分を必要としていない。 学校と同じだ」と思い始めてしまうでしょう。
そこからは会話が生まれたとしても、子どもの態度は冷ややかなものです。
親に必要とされていないと感じた子どもが、親に相談するでしょうか?

それどころか、「どうせ口ばっかり!!」と親子喧嘩に発展し、
親御さんはますます、「自分は子供にいじめられている」という観念を強化します。
そして親子喧嘩が重なるにつれ、今度は子どもの方が、「親が自分をいじめている」という観念を強化し始めるのですね。

ここでミロスが示すように、子どもはプログラム通り、親の鏡となるのです。

「ミロスなんて。 鏡の法則なんて。 そんなの眉唾でしょ?」
「意識の世界ではこうだ」とざっくり語られても、分かりづらいところではありますが、
この循環の仕組みを見ると、あながち間違いでもない、と思いませんか?

なので、「自分が本当は、周囲に何を発しているのか」というのを知るのは、とても大事なことなのです。

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そして、ここで忘れてはいけない重要なことが、一つあるのです。
なぜその子は、「自分はいじめられている」なんて、鏡となってくれているのでしょう?

その本質が、存在としての深いところにある「愛」であることを、私たちは把握しておくべきではないかと思います。

子どもたちが、「私はいじめられている、大事にされていない」という現実を訴え、多くの人々の鏡となることは、

「みんなは本当は、こんな事を考えているんだよ。 気づいて」

という、自分の人生をかけた、メッセージだという事です。

子どもの方も分かっているんです。
不登校になったり、引きこもりになることで、自分の人生を捨てていることなんて。
誰でも分かってるんです。

それでもあえてそれをするのは、「ただ自分の身(心)を守りたいから」だけだと、本当に思いますか? という部分を、不登校経験者としてお伝えしたいです。

普通自分の身を守るためだけに、自分のその後の人生、諦めることができるでしょうか?
自分の人生捨てる覚悟で、「あなた達はこのままでは、私と一緒に不幸になる」というメッセージを発している というのが、実際のところです。
本人がそこまで意識していなくても。

自分の人生を捨ててまで、親御さんの意識を反映しているのですから。
それが愛だと言わずに、何と言えるのでしょうか。

ミロスの世界では、
「いじめられる側も、いじめる側も、同じエッセンスを持っている」と言いますが、

同時に、「不登校は親の意識の問題が隠れている」ともあります。
私の視点では、これはそういう事なのだ、と認識しております。



私の世界から見えたものが、「自分に戻る旅」を歩む仲間たちの助けになりますように。

2 件のコメント:

  1. コメント、頑張って書いたのに、消えちゃった(//∇//)

    返信削除
  2. 気をとりなおして。

    Tさん、不登校からの視点をありがとうございます😊

    なるほど。
    不登校によって、「いじめ」が浮き彫りになるとは思っていませんでした。

    子どもたちも、親たちの今までの生き方ではない生き方を、見せるために、気づかせるために生まれてきたと、「ママとパパをえらんできたよ」の絵本では語られていますね。

    で、もう一つの視点は、
    子どもにとっては、この世の自由を表現するために、親からの不自由を体験させられている、
    全ては関係性なんだと、理解しました。

    返信削除

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