今日はのんびり、買い物に出ておりました。
このブログ開始と同時に母が、絵本の解説部分を読んだりするようになったのですが。
絵本の絵本部分については、以前も読んでいましたし
アンサーの方も少しは読んでいました。
アンサーの方は、最初に読むには難しすぎたようですね。
「単語の意味がよく分からない」という所からの始まりのようです。
とはいえアンサーを読んでいたのが、モニターで貸していただいた時でしたので。
今なら私の理解や、それによる会話も進み、また違った視点を持って読めるようになっているでしょう。
絵本の絵本部分を読むと、かなりすんなりと入ってきたようですが
解説の方もまた、とても分かりやすかったそうです。
その感想を一言でまとめていましたが、
(むしろ『一言でしか言えない』そうです)
「世の中人間みんな繋がっているわけね(祖先含む)」
というもので、かなり大事なポイントですね。
繋がっているという感覚を実際に体で覚えられるかどうかは、また別のところにあります。
それでも、 ”繋がっているのだ” という事実が頭にあるだけで、
「もしかしてこれも繋がっているの?」と、思える瞬間があるわけでして
それが、意識の発展につながることを願います。
ミロスについては、母とは ”喧嘩しながら“ 共同でやってきたわけですが、
この、喧嘩しながらという体験を、解説交えつつお伝えしていこうと思います。
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……の前に。 観念浄化のお話しです。
私がモニターでアンサーを貸していただいた時から、
母との間では、ミロスの話が主軸になりました。
私は元々 ”疑問に思う全てを解き明かしたい” という思いがあるので
追及することが生きがいでやってきました。
なので、その日から1年近く、細かな追及が始まりましたが、
追及ばかりがメインで、観念浄化はあまりしていませんでした。笑
するときは1日2時間くらい、みっちりとやっていたのですが
モニター最後のセッションの2週間くら前に、あることを思ったんですね。
「……認めれば消滅するなら、観念浄化に時間かけなくてもいいんじゃないの?」
という。
今でこそ思いますが、長期セッションでみっちりとやる観念浄化は
「相反するもの(+と-)はどちらも同じものなのだ」というのを、頭に叩き込む作業です。
私は相手を鏡として見ることや、それを受け止めるという部分が割と早かったようですが、元々勉強していたこととも、関係があったのだと思います。
そこでメインに学んだことは「人間は素直でなければ成長できない」。
成長という言葉は、ミロスの「最初から完全である」とはちょっと違うのですが、
「素直に人の言葉が受け止められないと、自分が何に凝り固まっているのか理解できない」というメッセージは、共通のものでした。
「人間は同じ言葉を話しているが、その内容は人によって違い、実は全く通じていない」
例えば、「ごはん」という言葉を聞いて会話をしていても
「食事」というニュアンスで言っている時と「白米」の時があるのと同じという事ですね。
「ご飯食べた?」
「食べたよ」
「じゃあテーブル片付けるね」
「ちょっとまってよ。 途中でやることあったから、おかずまだ食べてない」
なんて会話になるわけです。
このように、同じ言葉でも話が通じていないという現象が起こる……という事と
素直でなければ、その差には気づけない という事を
5年くらいでしょうか、みっちり勉強してきました。
「大人の理解力と、素直な子ども心」の両方が大事だと
そちらでは説かれていたわけです。
ついでに書きますと、そちらでは
「多くの人は子ども理解力で、大人の頑固な心を持っている」とも書かれておりました。
さてはて。
観念浄化が何の役に立つのかと言いますと、
「何がいいことで、何が悪いことなのか」
という思い込みを外してくれるわけです。
そもそも
「私はこれについて、いい悪いを持っていたのだ」
「実はこの件について、いい悪いを決めているのは私で、いい悪いなんて本当はなかったのだ」
と自分の頭一つで ”素直に” 納得できれば、そこで観念は終わってしまうのですね。
観念浄化をしなくとも、終わってしまうわけです。
しかし ”大人の心” になってしまうと、なかなかそれが出来ないので、観念浄化に助けてもらうのです。
+と-が ”結婚” することにより、現象が終わるのですから
「こっち(+)はよくてあっち(-)は悪い」と思っている限り、ずっと「結婚」はないのです。 現象が変わらないのです。
ですのでしつこく、観念浄化をお勧めしていくんです。
いい悪いがない世界なんて、そもそも信じられないのですから。
いい悪いが幻想であることを、何かの方法で覚えこむしかないんですね。
私がお世話になっていたサイトさんでは、最初から、
「私がそれをよしとしているだけで、なぜあなたは私を悪とするのか」
「私が私を知り、それを貫き生きていくだけで、私の周りに不愉快な人はいなくなる」
「私が好きじゃないのなら、わざわざ人道的な付き合いをして、自分を苦しめることないでしょう? 心地よい世界に行きなさい」
といった話題がありましたので、「いい悪いを超えたところ」に答えがあるのは、大体知っていました。
この方の主張は独特なところもありましたが、ミロスと近いものは、かなりあったように思います。
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喧嘩をしながら進めてきたミロスですが、今日もいつものパターンに陥りました。
「遊びに行こうよ~」と、私が母に訴え
母「どこ行くの?」
私「決まってない」
母「決まってないなら言わないでよー」
私「決めて言ったら、絶対行きたくないっていうじゃん」
というやりとりですね。
そこからだんだん、流れていくわけです。
母「一人で行けばいいのに」
私「ほらいつもそう言う、そのパターンちゃんと追及してくれないと困る」
自分がなぜ行きたくないのか。
「『行きたくないしか出てこない』じゃなくて、そこを二段三段とつっこみなさいって。 なんかない?」
「出てこないものはしょうがないでしょ……ああ悲しい」
「悲しいって何よ。 なんで悲しいの? 責めてるわけじゃないし、普通に質問してるだけなのに。 勝手に悲しくなってこっちが悪者みたいなのも困るんだけど」
不登校の記事のように、「私は娘にいじめられている」思考がここで発動しますね。
無意識でどんどん、幻想の悪者を作り上げます。
しかしこの話をしつこく続けていると、父の一声で流れが変わります。
父「お前だって、俺が誘ったら行きたくないって言ったべや」
私「そりゃね。 あの時期は体調悪かったから、気分が悪いとか色々あったよ。 ってことはまずのきっかけは、おかんが行きたくないのは、『気が乗らない』『体が重い』がキーワードね。 後、私がとーちゃんを誘う時は、おかんの時と違って行き先が決まっている。 ここもポイントね」
母「そりゃね、体が痛いし、行ったら嫌なことがある」
ここで閃きが!!
母「ノープランで遊びに行ったら、ここの料理味付けが濃すぎるとか、自分が何かにつけて文句ばっかり言って、『何言ってんだこいつ』って目でTに見られるから、行きたくないって思ってるわ……」
私「それだ! こっちも、おかんのそれが解決してないから、いつも行き先を指定せずに誘うんだ! やられた……」
この後、「一人で行けばいいのに」という言葉にも数段ありまして、
一緒に行っても自分は疲れて座っているだけなら意味がない とか
遊びに行こうって言われると、出不精な自分を思い知らされて嫌な気分になる とか
普通、高校生にもなれば、親と一緒に出掛けなくなるのに、なぜうちの子は など……
「ウィンドウショッピングでもいいから行こうよ」
「何が楽しいのか分からない」
というやり取りもよくありましたが、これも同じ理屈で
「可愛い可愛いと言っている隣で、どうせ買わないのに見てて何になるんだなんて、空気の読めない自分が嫌だ」
であり、自分の言動を嫌っているという事がよく分かります。
高校生にもなれば、のところはもう一つポイントがありまして、
ここからが大事なところですね。
親が子離れしていないとか、子が親離れしていないとかではなくて、
誘われる>断る>怒られる
出かける>空気が読めない>怒られる
一人で行けばいいのに>私はいつも誘われている
という無意識が原因なんですね、実は。
ベースに、「娘に怒られるのが怖い」という部分がありますので、
「怒られるかもしれない」「イライラする娘」というシーンを共同で作るために、私はリクエスト通りの反応をします。
ここで私がミロスを知らなかった場合、私は「怒りっぽい自分」という自己認識を持ち、自分自身を見失うのです。
必死に怒らないように抑え、ダメな自分という意識を強化してしまうのです。
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これって、他の事でも言えるんです。
ここから先は、母が気付いたことではなく、私が気付いたことです。
(母の立場になって思考する。 上の思考が母)
娘は速読だ。 私はミロスの本をゆっくり読んでいる。(だから劣っているという負のイメージ)
>まだそこまで? それ他のより読みやすいんだけどなあ。
これだけ娘の話を聞いているのに、まだミロスがよく分からない(自分はダメだ)
>前にも説明したじゃん……
私っていっつものんびりなのよね(のんびりだと怒られてしまう)
>まだ1冊しか読んでないでしょ、ほんとは興味ない?
母と私の間にある、これらの思考が原因となり、「共同創造者」になっているんですね。
このように、一度相手(母)の思考パターンが分かってしまうと、
私がどうして「母に対し、他の人より厳しい行動をとってしまうのか」への理由そのものが、私の方から探れるようになっていきます。
なぜなら、同じ場にいるからですね!
それと同じように私の中にも、「いじめられている」という思い込みがあり
そこに反応してくれた共同創造者のクラスメイト達と、学校での現実を作っていった……という事です。
それと同じように私の中にも、「いじめられている」という思い込みがあり
そこに反応してくれた共同創造者のクラスメイト達と、学校での現実を作っていった……という事です。
ミロスの場合、関係のある誰かが、対極のゲームを終了させれば全てが変化しますので、
母が自分の極に気づけなくとも、私が気付き認めれば、このやり取りは終わるんです。
このへんが分かったら、今日は母を誘いたいという欲求は無くなり、結局一人で買い物に行ってました。笑
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