PMSの記事を書きたい、とか言いながら、今日のテーマはタイトルの通りになります。
これは私の個人的な意見ですので、
聞き流していただいても構わないことなのですが。
カウンセリングを受ける時というのは
「今の状態から逃れたいから」だったりするわけですよね。
あなたは、どうでしたか?
「問題を解決したい」
「自分に自信を持ちたい」
そんなことも、あるかもしれません。
根っこでは
「自分の問題を解決したい」 と思うわけですよ。
人間というものは、そうだと思うんです。
ここからが本題なのですが……
あなたは、「誰かの問題を解決してあげたい」
と、思ったことはあるでしょうか?
もちろん、あると思います。
けれどそれは、ざっくりと言ってしまうと
「自分に目の前の問題や、学校の宿題が無い時に、やってあげよう」
ではないでしょうか?
自分が順調な時だけ、誰かを助ける気になりませんか?
自分がつらい時に、誰かを支えてあげたいと、思いますか?
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ちょっと話はズレますが、
私たちは、もともとそれぞれが、完全な存在である、ということは、
誰かの問題を解決してあげる、という必要なんてありませんし
むしろ、「誰かが、悩んでいる誰かの心を変える」など、不可能だと、私は思うわけです。
最後は、ご本人様が変わろうと努力することが無ければ
いつまでも、ジプシーのように、ドクターショッピングのように、なってしまうのですね。
自分の問題は、自分の問題だから、自分で解決しよう。 と受け止める覚悟が大事です。
自分の問題は、自分の問題だから、自分で解決しよう。 と受け止める覚悟が大事です。
私は資格こそありませんが、10年近く、カウンセリングの勉強を続けました。
だからこそ、「カウンセリングで、誰かの気持ちを変えてあげよう」なんてことは、傲慢だとさえ思います。
むしろ、いつも助けられているのは、私のほうです。
カウンセリングは仕事として、本業としてやっているわけではないですが
それであっても誰かのためだけではなく、私のためになることでもあるのです。
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ここで話は戻ります。
私は、自分が助かりたいときに、自分の問題だけを見ることは、結局、無駄に終わると感じているのです。
自分の問題が終わってから手を貸してあげよう、というのは、ちょっと勿体ないなと。
辛い時こそ、誰かに手を差し伸べる
それくらいの気持ちでいたほうが、発見はありますし
そうすることで助けられているのは、実は自分のほうなのですね。
その人の問題を、代わりに解決することはできませんが
手助けをすることは出来ます。
そして、誰かの問題に手を差し伸べた時
癒されるのはその誰かではなく、「自分自身」ということ
それを知っている方が、あまりにも少ないと思うのです。
相手が癒されるかどうかは、相手次第なのですから。
相手が、ご本人様が変わろうと努力する気持ちが、カウンセラーの心と化学反応を起こしたときのみ、双方に確実な癒しが起こるのだと感じています。
私は、自分が助かればそれで安心、ということは、「絶対にない」と主張しています。
皆それぞれ、繋がってます。
自分が平和でも、誰かが不幸なら
あなたの平和は、一瞬で崩れ去ることもあるのですから。
ご近所さんが不幸で
あなたに愚痴を3時間も話してきたら
たちまち、あなたの平和は崩れ去るでしょう。
それでもあなたは、
「自分が助かればいいや、愚痴から逃げよう」
と、思うでしょうか?
「ご近所さんがもし心から変わりたいなら、手助けしたいわ、と思うでしょうか?」
人は繋がっています。
今は特に、つながりを大事にしなくてはならない。 そんな時代と感じています。
ご近所さんが平和にならない限り、あなたはご近所さんの愚痴を聞くことになるかもしれないですよ?
自分の問題が解決してなくても、隣近所に笑顔を振りまくくらいの余裕で
自分に何ができるのかな? と、考えてあげるような
自分に何ができるのかな? と、考えてあげるような
そういうものが、今後必要なのでは? と思っています。。。
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